海外で日本語を教えています

日本語教師です。ネイティブスピーカーとしてだけでなく、色んな角度から日本語を見ていきたいと思っています。

空(くう)のこと・人間社会に疲れたら「花鳥風月」 

今回は、最近思ったことを書きたいと思います。

その1「空(くう)」っていいな

フランス社会に身を置いていると兎に角自己主張が求められるので、そういう習慣のない日本から来た私はしばしば「面倒やな」と思うことがある。

フランス人は「我喋る、我に我あり」な人々だから、「わたしわたし」「オレオレ」と常に自分の喋るターンを奪い合っているようなのだ。

「言葉を発さなければその場にいないのと同じ」みたいな感じがして、口数がそもそも多くないしフランス語ネイティブでもない私にはしんどい時もある。

西洋流に自我で自分をいっぱいするのではなく、何もない空(くう)で自分を満たす仏教の思想はいいなと最近思っている。「わたしがオレがワシがあたいが」と自我を主張するのではなく、一旦空っぽにしてすべてを受け入れるしなやかさに憧れる。

仏教の影響を色濃く受けた日本人は、そのしなやかさがあるように思う。言葉がなくても行間を読んだり、空白に意味を見出したりできる稀有な民族ではないだろうか。

その2 人間社会がすべてじゃない。花鳥風月と共に生きよう

これは、養老孟司さんがラジオでそうおっしゃっていた。

現代人が生きにくさを感じているのは、人間社会が世界のすべてになってしまっているから。自然が豊かにあった時代は、人間社会で嫌なことがあっても自然の世界に逃げ込むことができた。

人間社会の秩序とは、まったく違った秩序を持っている自然。自身や台風、洪水、噴火など災いを及ぼすこともあるけれど、つきあい方がわかれば人間よりずっと気楽につきあえる。人間は裏切ったり嘘をついたりするけれど、自然はそうじゃない。

戦中は「天皇万歳!」だったのに、戦争に負けてアメリカに占領されると「マッカーサー万歳!」と手のひらを返したようになる世の中を見て、心の底では人間社会が信じられなくなったという養老さん。そりゃあ、人間社会から自然の方へ逃れたくなる気持ちもわかるなあ。

 

そういえば最近、田舎の夫の知人の家に遊びに行く機会があった。まあ、フランスでは都市の周辺以外はだいたい田舎なんだけどね。私は初対面だったけれど、ぜひ奥さんもと誘ってくれたらしい。

家には広い庭があり、小鳥やうさぎ、キツネなど野生動物もやってくる。庭にはニワトリが放たれ、コッコッコッと草をついばんでいる(可愛い)。小さなポタジエ(野菜畑)なんかもあり、色んな野菜が植わっている。

知人夫婦は教師をしており、本をたくさん読んでいるおかげで知識も豊富だった。日本の文化にも興味を持っている。豊かな自然と収穫の喜びと磨かれた知性、そして子供たち。絵に描いたような理想的な暮らしを目の当たりにして、何だか幸せな気持ちになれた。心身ともに幸せに生きていくには、それだけがあればいい。花鳥風月のある暮らしってこういうことなんだろうなと、養老さんの話を聴いて思った。

人間社会に押しつぶされそうになったら、ぜひ積極的に自然に現実逃避したいものだ。