海外で日本語を教えています

日本語教師です。ネイティブスピーカーとしてだけでなく、色んな角度から日本語を見ていきたいと思っています。

『セッション』を観て思った、教育者のあり方

先日、ようやく昨年のアカデミー賞受賞作の『セッション』を観た。

テレンス・フィッチャー先生がマジ恐い。昨今の「褒めて伸ばす」とは真逆の鬼教師で、生徒が失敗するともの凄い剣幕でものを投げつけて激高するのだけど、その様子がとにかく恐ろしい。

先生役のJ・Kシモンズはさすが助演男優賞を獲っただけある。この人、これまでの人生で本当にこんなふうに毎日怒ってきたんだろうな、と思わせる演技だった。彼のシワも日々の怒りによって刻まれたんじゃないかってくらい。

この映画を観ていて、小学校のクラスで先生に誰かがやり玉に挙げられている時の感じを思い出した。自分じゃなくてよかったという安堵感と、被害者への同情の入り混じった気持ち。

私自身は平和主義者なので怒鳴ったりものを投げつけたりする人は教育者としてどうかなと思ってしまう。『セッション』の先生は「シンバルを投げつけられて何クソ!とますます努力したチャーリー・パーカーのように生徒にもなってほしかった」と弁明していたけど、皆がみんなチャーリー・パーカーになれるわけではない。主人公のアンドリューはチャーリー・パーカーばりに努力して先生の怒号をものともしない信念を持った一人前のミュージシャンになるのだけど(してやったりで超気持ちいい!)。

教育者はどうあるべきなのだろう。生徒のことを思えば時に怒号を飛ばすこともやむを得ないのだろうか?でも最近では怒鳴ると脳が萎縮して逆に頭が悪くなってしまうこともわかっているらしい。やっぱり私はリラックスして学んでほしいと思う。楽しいとか、嬉しいとか、そういったプラスの感情と共に学習してほしい。そっちの方が脳も活性化されるようだし。

でも案外、フィッチャー先生みたいな鬼教師の方が生徒の記憶には残って、数十年後に思い出補正で感謝されちゃったりするんだろうな~。